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その昔、藤原真人がこの地方に流浪し「柳が島」に住んでいました。真人は土地の娘をめとり双児の兄弟をもうけました。
名を兄が四郎長磨、弟を六郎寿磨と名づけたといいます。
ある日、真人は狩猟の途中、湯川のほとりにさしかかった時、岩の間より盛んに噴き出している熱湯を偶然に発見したのです。
試みに入ってみたところ、神気爽快、四肢軽快今までの労れもすっかり治ってしまったので大変驚き、また喜びました。
その後、真人は険しい山の中に道を開き、湯つぼを造るなどして、「近隣に隠れた名湯あり」とまで諸村に伝えられるようになりました。
文武天皇の慶雲二年(西暦七○五年)三月のことでありました。

これが、西山温泉の起源と伝えられています。

医薬品らしいもののなかった往古の時代、病弱に苦しむ人々は無理をおしても集まり、
西山温泉に入浴する人の数は年ごとに増えるようになっていきました。

天文五年正月
武田家重臣
穴山梅雪より寄贈された
当館家宝 「銅羅(どら)」

天平宝字二年(七五八年)には、四十六代孝謙天皇がご不例のため吉野にお移りになられた時、この山の霊泉が夢枕にたち、
京の都よりはるばる慶雲館にご入湯され、二十日余りですっかりご全快されたとも云われています。

西山温泉 慶雲館には、数々の都人や、戦国時代には数多くの名将が訪れたとも伝えられます。
天文年間には甲斐国主 武田信玄公が、天正年間には、武田二十四将のひとり、穴山梅雪が幾度か湯を求めに訪れ、
当館の守護神湯王大権現に「銅羅」を奉納されています。
また、日本統一のさなか、徳川家康公も二度にわたり入湯され、後に、信玄公、家康公の 隠し湯とも呼ばれるようになりました。

天平宝字二年(七五八年)には、四十六代孝謙天皇がご不例のため吉野にお移りになられた時、この山の霊泉が夢枕にたち、
京の都よりはるばる慶雲館にご入湯され、二十日余りですっかりご全快されたとも云われています。

西山温泉 慶雲館には、数々の都人や、戦国時代には数多くの名将が訪れたとも伝えられます。
天文年間には甲斐国主 武田信玄公が、天正年間には、武田二十四将のひとり、穴山梅雪が幾度か湯を求めに訪れ、
当館の守護神湯王大権現に「銅羅」を奉納されています。
また、日本統一のさなか、徳川家康公も二度にわたり入湯され、後に、信玄公、家康公の 隠し湯とも呼ばれるようになりました。

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